クリークの部屋

2016年9月19日 (月)

知らなんだ。

もうお墓なんていらん、そう思いながら、地面に墓標を建てて・・と言うんじゃなくて、新天地でも元気にやるんやで・・との「祈り」の対象になるような「モノ」がなんかないもんかいなとネットを見回る今日この頃のオバちゃん、昨夜、ビックリする事実を知りました。

競馬の世界からとんとご無沙汰しているオバちゃんですが、なんぼなんでもニュースになっててたら気づいてたと思うんですが、これは知りませんでした・・・・。


若くして急逝したのは気の毒だけれど、生まれ故郷の牧場に埋葬してもらった三冠馬。
・・・これがどんなに幸せなことか。死んだら「魂」は「遺体」から離れて自由になる、そう思っているオバちゃんですが、通常のお馬さんの「処分方法」を思うと、こんなに幸せなお別れはない、ず~っとそう思っていました。
それがなんと13年後、お墓を掘り起こして亡骸を取り出して火葬、2011年にオグリんち(優駿SS)に新たにお墓を作り直していたのだ。
お馬さんの世界にはこんなオバちゃんが知りうる話でさえ、言うたらあかん話がいっぱいある。オバちゃんが辿り着いたこの話のブログ主さんも多くは語っていらっしゃらないのでなぜこんなことになったのか判らないけれど、亡骸を掘り起こして・・・って・・・・。
「亡骸」は単なる「物体」だと思っているハズのオバちゃんなのに、堪えた・・・。
ニンゲンさんや・・バチが当たりまっせ、しまいに・・・。
どんな事業計画が控えてたんか判らんけど、これだけ馬産地に功績を遺したお馬さんにもっと敬意を払うのがニンゲンさまのすることちゃいまんのか・・・。
やっぱり、「心」のなかに建てるのが一番確かなんかもね・・・。
こんな時、普通の競馬ファンだったら、呼び掛けて仲間を募り、お墓を再建するんかもな・・・。
でもオバちゃんはやっぱり、もういいや・・・。
今の心優しい競馬ファンにお涙頂戴に訴えたら、クリークのお墓は出来るかもしれない。
オバちゃんだって今やアラ還(暦)、もう一回、「石」は準備できる。競馬が大好きだった、亡くなった弟の残しものを、京都競馬場に馬霊碑が再建できるなら使うつもりだった。
でも、縁もゆかりもない観光用みたいな共同墓地(すんません、お願いしてもあちら様に断られてたかも知れんけどcoldsweats01)に墓標をおったててもクリークは決して喜ばない。

今の心優しい競馬ファンにお涙頂戴に訴えたら、クリークのお墓は出来るかもしれない。
でも、大騒ぎして同情を買うような真似、きっとクリークは嫌がるよね。
これが長年、クリークファンをやって来たオバちゃんの結論。
どうせクリークの「魂」は次の何かに生まれ変わってるか、自由気ままに世界中いや宇宙中を旅しているハズ。縁もゆかりもない場所の墓標は祀る側の自己満足だとオバちゃんは思う。

それなら、天下のスーパークリークに墓標がないことを不思議に思った方が、クリークの馬霊碑が無くなった経緯を知り、競走馬の「馬生」の厳しさを知って、ファンのお馬さんの引退後の「馬生」に少しでも思いを寄せてくれるきっかけになれば、それが何よりの供養になると思う・・・。

なぁクリーク、オバちゃん間違ってる?


・・・知らなんだつながりがもう一つ。
JRAのキャンペーンでこんなもんが出てたらしい。

Fairu

競馬場に行くとポイントがもらえ、貯まると抽選でもらえるんやて。
今や競馬場に行くこともないオバちゃん、ヤフオクで落札しました。
・・・物欲が無くなった、やれ終活すると言いながら、その舌の根も乾かんうちにgawk
このファイルは遺体と一緒に火葬すると骨にくっつくからお棺にいれてもらえんやつや・・・。
「死期を悟ったら燃やす」グループに追加、やな。

2016年9月11日 (日)

終活をはじめよう。

「時間の流れ」というのはホント、大事なもんなんだなぁとつくづく思う。

「粉砕」という言葉を聞いた日は「怒り心頭に欲する」を絵に描いたように自分自身を始め、いろんなことに怒りが満ち満ち、居たたまれない気持ちに陥っていた。
が、時間が過ぎるに連れ、怒りが収まり、それどころか、あの天下のスーパークリークの、ある意味、「公式なたてがみ」が、このド田舎在住至ってフツ―のオバちゃんちにやってきてくれたのである。
同時に、「”永遠”なんてないんだ」と言うことをつくづく感じた日々でもあった。
馬産地の不況が言われて久しい。
田舎もんでわからんちんのオバちゃんだって、クリークがお世話になってたスタリオンが永遠に無くならないなんてこれっぽちも思っていなかった。
でもあの馬霊碑には、クリークの「ク」の字も刻んでいなかった。
これはスタリオンの意向でもあったし、オバちゃんたちだって、クリークをはじめ、帰る牧場の無くなったお馬さんたちやみんなを祀れる馬霊碑になればいいなと思ってのことだった。
それは万一、スタリオンがなくなっても、おそらく「牧場」以外には利用されない土地柄、馬霊碑は残してもらえるだろう。もし、どけてほしいとなったら連絡くらいもらえるあろう、そんな風にノンキに考えたオバちゃんがアホやった。
仰々しく名を刻んだお墓が欲しかったら、あの馬霊碑は建てなかったのでもう「お墓」は要りません。
クリークに手を合わす場所が無くなったと思ってくださる方がいらしたら、きっとクリークはあなたのそばにいます。
きっと天国を思いのままに駆け回っているであろうクリークです。
クリークを思い出してくださるそのお気持ちが、クリークが立ち寄ってひとやすみする場所になっているのだとオバちゃんは思っています。
・・・などと感傷的に語っている場合ちゃうがな。
オバちゃんの手元に集めたクリークのお宝の数々、その始末の方法をボチボチ考えていかんと、ね。
決めていることはひとつ、「残さない。」
オバちゃんが死んだ時に燃やしてもらうもの以外は、それまでに始末する。
永遠なんてもんがないことが否が応でも身に染みた今、オバちゃんが死んだあと、粗末に扱われるぐらいなら残さない。お葬式もお墓もこれっぽちも欲しくないんで、一緒に燃やしてほしいモノ、ノートにでも書き留めておかんとな。
母が亡くなった頃からすっかり物欲が無くなったと思っていたのに
やっぱり買っちゃうちっちゃいもん、「のんきだ寝」
これはヤフオクででも売り飛ばしやすいようにおいおいまとめていくつもり。

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リアルのんきだ寝、ただいま14歳。
この子よりは長生きする予定だけど、亡くなったらどうするか悩み中。

亡骸」を庭に埋めても娘が嫁にいったら後は売られちゃうだろうしね・・。

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1993.3.32の、のんきだ寝。
クリークの写真は何千枚あるかわからないcoldsweats01

以前はネガフィルムからDVD化せんと~!と悩んでたけど、ココにきて「残してどうなる?」と考えるに至り、オバちゃんが死期を悟ったら燃やそうかな・・・。

Photo

これからもボチボチ終活報告していきまっさ。

2016年8月29日 (月)

ごめんね。

昨年末に日高SSの廃業を知ってずっと気になっていました。

けれどクリークを応援するようになり馬産地の様子も知るようになって、いくら熱く語っても所詮「ファン」の立場である自分と、生活がかかっている馬産地の方々とは、「サラブレッド」に対する考え方が異なることを思い知りました。
呑気なファンの立場だけでお馬さんのことを考えてはいけない、常々そう思いながら過ごして来たので、日高SSの廃業を知った時も、スタッフの方々の暮らしが落ち着き、クリークの後輩たちの転厩先が決まるまで、もう既に亡くなっているクリークの馬霊碑の「行き先」などはすべてが落ち着いてから尋ねるべきだ、そう考えていました。
栗育会としては寄贈した立場、自分たちのものではないし、ね。
そこへ母の死も重なり、日高SSのことで競走馬のふるさと日高案内所に連絡を入れてみたのは6月末でした。
日高SSの元関係者の方にご連絡すれば直ぐにも状況が判ることは百も承知だったけれど敢えて競走馬のふるさと日高案内所に連絡したのは前述のように、廃業=失業である深刻な状況であった時にクリークの馬霊碑のことを尋ねることと、もう日高SSのスタッフではない方にお聞きしてご面倒をお掛けしたくなかったから・・・。
競走馬のふるさと日高案内所からはこんな返信を頂きました。

「こんにちは。お問い合わせメールを拝見いたしました。

ふるさと案内所サイトをご覧いただき、ありがとうございます。

 

日高スタリオンさんの跡地は、所有者等関係者以外の方は入れません

(不法侵入になってしまいます)ので、ご了承ください。

 

閉場される前に、関係者の方と何度かご連絡をさせていただきましたが

もともと「記念碑」という意味合いで建てたもので、魂も入っていないので

ご心配は不要ですというお話でした。

 

それでは、また何かございましたらお気軽にお問合せください

(お電話でも大丈夫です)。」

これを拝読してオバちゃんはてっきり、馬霊碑はまだ存在しているものだと思いました。

しかしながら「「魂も入っていないのでご心配は不要です」というお話でした。」という言い方に、いやいやあの馬霊碑は、神主様にお祓いもしていただき、たてがみが入ってるんだよと心配になり、現所有者の方の連絡先をお教えいただけないか、と再度、競走馬のふるさと日高案内所にメールを送りました。

そして同時に京都競馬場へ電話をしました、行き場のなくなった馬霊碑を京都競馬場に移設させてもらえないか、とお願いするために。

これはクリークが亡くなった時、馬霊碑を建立する際にも考えたことで、生まれ故郷の牧場も既に無いクリークにとって、縁があり、お参りに通える場所はここしかないと思ったからです。

JRAも親切な方がご対応下さり、あいにく当日は宝塚記念で上司がすべてで払っており、上司が戻り次第、お電話を下さるとおっしゃってくださいました。一から建立てさせてもらうのはむつかしいかもしれないが、牧場の廃業で行き場所がなくなった馬霊碑なら受け入れてもらえるかも知れないと言うまさに一縷の望みでした。

その後、競走馬のふるさと日高案内所から連絡してくださったのでしょう、馬霊碑の消息?!を知る方から電話を頂きました。そこでクリークの馬霊碑がもう既に粉砕(お電話をくださった方のお言葉のまま)されていることを知りました。

粉砕・・・この言い回しは北海道では普通の表現なんだろうか?
まずこのことに驚きました。

そして寄贈したものとは言え、軽自動車が買えるくらいの費用を掛けたものを「粉砕」が決定する前に一言でも知らせてもらえないものなのだろうか・・・。

慌ててJRAに電話しました。
相談の内容が変わり、馬霊碑はもうなくなっていたこと、新たに馬霊碑を建立させてもらえないかと言うこと・・・。

その日の夕方、JRAの上司なる方からお電話を頂きました。

オバちゃんの勝手な主観ですが話を聞いて下さる中、馬霊碑はもうなくなっていたことを話すと明らかに相手のトーンが下がったように感じました。・・・そうやろね、オバちゃんも行き場所がない馬霊碑と言うのが陳情ポイントだったんだよ・・・。

JRAの方のお返事は予想通り、京都競馬場には亡くなったお馬さん全馬を祀る馬霊碑があるのでそれをお参りして欲しい、とのことでした。シンザン先生のものは恐れ多くて文句の対象には使えんけど、ライスシャワーのはどうなんですか?と口に出しかけて、やめました。なんかクリークなら、グタグタ言うのをきっと嫌がるような気がして・・・。

それに、ライスシャワーが事故で亡くなったことが碑を残せた理由なら、ここでゴタゴタゴリ押しするのは、決して丈夫とは言えない脚のクリークをいつも万全の態勢で出走させて下さり、無事に引退させてくださった、クリークのスタッフだった皆さんに何か失礼をするような気がして・・・。

なんか憑き物が落ちたように馬霊碑への拘りが無くなりました。
もともと無宗教でお墓の存在価値も感じていなかったけれど、クリークの面影を求めて手を合わせる場所が欲しいと思って下さるクリークのファンの方のため、日高SSで今後、亡くなっても帰る牧場がないお馬さんたちの居場所があればいいなと思った馬霊碑・・・けれど馬産地の方に不要と思われたものを無理やり再建しても意味がない、そう思うようになりました。

しばらくして、馬霊碑に埋葬してあったたてがみがオバちゃんの手元に届きました。

白いカビが生えて、触ると粉々になったり、短くちぎれてしまうものがありました。
オバちゃんは今、ゆっくりカビの除去に励んでいます。

この粉々になったたてがみはいつかとある場所に風葬しょうと考えています。

残ったたてがみはオバちゃんの手元に置き、オバちゃんが死んだとき、一緒に焼いてもらうことにします。皆さんの元におきたいと馬霊碑に祀ったけれど、こんな形にしろ、オバちゃんの手元にやってきたたてがみ・・・思いっきりオバちゃんが抱え込むことに決めました。

縁もゆかりもない観光墓地にご大層な碑を建ててもきっとクリークは喜ばない・・・クリークの応援を二十数年続けてきたオバちゃんの結論です。

でもクリーク、ホンマに堪忍やで・・・。

オバちゃんがもっと世渡り上手で、社交的で、要領よかったら、こんなことにはならへんかったよね・・・。

誰が悪いわけでもないよね・・・。敢えて言えば日高SSの廃業を知って動かなっかったオバちゃんが悪い・・・、ごめんね、クリーク。

どうせきっと、クリークは一つの場所なんかに留まっちゃいないよね。

だったらたまに帰ってくるのがオバちゃんちでもエエよね・・・。

今日はクリークが天馬になって6回目の夏。

今年もあの夏みたいに暑い夏やな。

たまにはオバちゃんちに涼みに来てよ、クリークheart04

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天馬になったクリークは6回目のお誕生日heart04

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2015年8月29日 (土)

人生に寄り添ってくれた馬

2010年 8月29日16時50分 クリークが亡くなった。

あの日、クリークの具合がよくないと友人の電話で聞いたのはお昼を過ぎた頃。
その2週間ほど前にクリークと会っていたオバちゃんはこの知らせがそう深刻なものとは思えず、経過次第で様子を見に行ってみるか、程度に思っていた。
それから僅か数時間でクリークの訃報を聞くことになるなんて、これっぽちも思わずに。
 
クリークと出会った頃、今やこんなオバちゃんもまだアラサー。
結婚するつもりなど毛頭なく、それなりにOL生活に奮闘していた。
今でこそ、パワハラやセクハラなどという言葉が言われるようになったが、その頃はまだまだ女が働くことに色んな壁がありオバちゃんもあっちこっちで頭をぶっつけていた。
 
そんな時、クリークに出会い、クリークにはホント、元気と励ましをもらった。
現役時にはそのレースに、引退後は長期の休暇ごとに、会いに行っては元気と励ましをもらった。
 
これぽっちも結婚するつもりがなかったオバちゃんもクリークの担当厩務員さんご夫妻や日高SSの場長ご夫妻、クリークに会いに行く度、定宿にさせていただいていた旅館のご夫妻という素敵なご夫妻とお知り合いにならせていただくにつれ考え方も変わり、「家族」をもらった。
 
クリークが種牡馬として落第点を頂戴し、今後はどうなるかと一番大変だったとき、オバちゃんは高齢出産で授かった子どもの子育てに悪戦苦闘中。何の手助けも出来ずにどうしたらいいのかと思うオバちゃんの心配をヨソに、クリークはのちのち天職とも思える当て馬稼業に就き、さっさと自立の道を切り開いてくれ、会えない日々が続いても、その元気な知らせでオバちゃんに安心と元気をくれた。
 
子どももおっきくなり、クリークにもらった「家族」とやっとクリークに会いに行けたのが2008年。
そして2度目の「家族」でご対面ができたのが2010年、最後の夏だった。
 
2008年には見えなかったクリークの老いの影が、くっきり見えた2010年。
これからはクリークにもらったたくさんのものを少しずつでもお返しして行こうと思った矢先に、クリークはとっとと天国に行ってしまった。
 
くれるもんだけたくさん、たっくさ~んくれて、オバちゃんには何のお返しもさせてくれずに行ってしまうなんてクリーク、あんまりやんかいさ…。
 
クリークが亡くなったとき、「クリークは30歳までは生きてくれると思ってたから、あと5年は愚痴らせてもらうで」と言った期限が来てしまった。
だからもう、「なんで逝ってしもたんや~!」という愚痴は二度と言わないよ…。
 
2010年の夏、最後に触れたクリークの感覚を忘れないよう、最後に触れたお馬さんが「スーパークリーク」であるよう、クリークが亡くなって以来、「お馬さん」に触れていないオバちゃん。これは死ぬまで続けるよ。 
 
クリークを好きになってたった一つ、残念なことがある。
それは私にとって競馬のスタートにクリークと出会って、以後、クリークを超えるお馬さんに出会えずにすっかり競馬に興味を持てなくなってしまったこと。
 クリークが現役を引退してから、○冠馬や怪物と呼ばれるお馬さんを随分、拝見させてもろたけど、どのお馬さんもクリークの競馬を見た後では物足りなさを感じるばかりで…。
 
でもこれって、最高のことでもあるんや…。その世界で最高のものを見れたってことなんやから、ね。 
 
日高SSもクリークがお世話になっていた頃と変わり、大きなお花をお届けするのもご迷惑になりそうな一文がムテキ通信に書かれていたので、今年からお花を飾るのはオバちゃんちだけにしておくね。
どうせ今や天馬のクリーク。北海道もオバちゃんちもひとっ跳びで来られるんやろ、オバちゃんちに覗きに来てなwink 
 

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クリークの天馬になったお誕生日に託けてケーキもいただこう birthday

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クリークに成り代わり、何かとオバちゃんを慰めてくれる桃にもおすそわけ cake

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そうそう、この前、原宿引き回しの刑にあったとき、こんなもん作ってきたで happy02

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horse クリークがいて、CREEKheart01527、その後のはクリークの最後の友猫シロちゃんやで  cat
 
ちょっとだけでええから覗きに来てな、クリーク…。

2015年2月22日 (日)

ゆるせん、ニャジラ。

あるシチュエーションに遭遇すると、ふと口から出る言葉ってありませんか?

私の場合、東西南北が判らなくなると

「西からのぼったお日様が~♪」と口を衝いて出ます。

そう、コレのオープニング曲ですよね。

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この歌を口ずさむと”おバカなバカボンのパパが東西を間違えてんだから北に向かって右手が東…”と頭に浮かぶんです、オバちゃんも相当なバカってだけなんですがcoldsweats01

で、もうひとつ。

そう深刻な怒りではないけれどムカっと来たときに、思わず口を衝いて出るのが

「ゆるせん、ニャジラ」

この漫画「ホワッツ マイケル」

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で、主人公・マイケルがニャジラにやり込められては呟くんです。

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ちなみに「ニャジラ」はこの仔。

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オバちゃんの記憶違いでなければ、本名・カトリーヌちゃんと言う♀。

我が家の愛犬・桃には悪いけど、あたしゃ本来はネコ好きlovely この漫画が大好きでした。

おおーっと、また脱線するトコbleah

オバちゃんの書きたかったのは昨日、久しぶりに「ゆるせん、ニャジラ」が口を衝いて出ましてね…angry

というのも、先日オークションで落札したコレ。

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確か2000年にJARがやったイベント。投票で名馬と思われる100頭を選ぶ、ってヤツ。

クリークは1890票で46位だったヤツ。

アホかーっsign03sign03sign03sign03 クリークが46位ってなんでやねんっsign03sign03sign03sign03

…と言うたところでオバちゃんは投票もしとらんのやけど。

2000年と言えば、クリークが種牡馬としては失格の烙印を頂戴し、今後の生活はどうなることやらと心配で、そんなコト、どーでもよかったんだよね。
どうせオグリにわんさか投票されるのはわかったコトだしgawk

そんでもって当時はこんなのが販売されても欲しくもなんともなくて買いもしなかったんですが、今年の命日でクリークが亡くなって早5年。クリークの面影を求めて今更ながら買い求めてみようとするともうオークションくらいしかなく、落札した次第です。

で、見ましたとも。
CDには100位までのお馬さんがランダムに10頭ずつ入ってまして、もちろんクリークのトコだけしか見てないんですがcoldsweats01

そこでようやくの今回の本題、「ゆるせん、ニャジラ」

『武豊にとっても初のG1制覇。この勢いのままスーパークリークは葦毛のスーパーホース人気に挑戦状をたたきつけた』というナレーションとともに

Photo

こんな映像が流れるんですが、コレ、クリークとちゃうやんかいさ~~sign01

クリークのことをあまりご存知ない方が観たら、この見知らぬお馬さん(堪忍やでcoldsweats01)がクリークやと勘違いする流れになっとるやんかいさ~~sign01

100歩譲って、これは当時、新人で売出し中の武騎手を撮りたかっただけで、武豊騎手にスポットライトを当てたもの、だとしても、全編10分もないクリークのコーナーにクリーク以外のお馬さんを出演させるなんて言語道断、

「ゆるせん、ニャジラーーーー」

ちなみにクリークはこんなお顔。

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格が違うだろうがangry、格がっsign03

2015年1月19日 (月)

クリーク、最後のレース。

競馬における暦=クリークが出走したレースの想い出、なオバちゃんからすると1月は金杯でもなく、日経新春杯でもなく、「引退式」。

今は有馬記念のレース後にちゃちゃっとやっちゃうのが主流みたいですが、それってファンからするとうれしいんかな…。

でも、その引退式に掛かる経費は馬主負担と聞くと、見せてもらうだけのファンでは見せてもらえるだけでありがたいことと思わなバチが当たるなとも思うけど、開催日の競馬場への入場は入場料を取られるはず、JRAちゅうのはどこまでがめついのんやら…pout

クリークの京都での引退式の日の入場者数は、当時の日刊スポーツによると6万人(正午現在)=引退式が行なわれるのが午前と午後のレースの間の昼休み、サンケイスポーツに至っては8万人弱の観衆、って記事になっているのだsign03 どうや、今のお若い競馬ファンsign03 あんたらの大事なオルフェーヴルで6万人の観衆、ジェンティルドンナで4万人、それも「有馬記念」の終了後で、よ。 ちなみに日刊スポーツによるとクリークの中山の引退式は5万人の観衆、となってます。

えっ、オグリの引退式? そんなん知りまへんがな。当時、オバちゃんは淀競馬場に自転車で10分足らずのところに住んでたけど、行ってませんからgawk

で、肝心のクリークの話に戻りまして、クリークの引退式にはもちろん、淀・中山ともに行ってまいりましたともlovely 

言うてもクリークが最初で最後(もう、言い切っときます)のお馬さんなオバちゃん、お馬さんの引退式は90年1月のフレッシュボイスのを見たことがあるだけ。それはもう見事な「最後の直線」の走りを見せてくれビックリしたのをハッキリ覚えております。

なのでクリークもきっと、「最後の直線」のひとっ走りを見せてくれるもんだとばかり思って、ノンキに待っていました。

そこへ現れたのがこのクリーク。

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…脚の具合が悪いから引退を決めたことを百も承知していた筈なのに…、ここまで悪かったと言うことに全く考えが及んでいませんでした。

クリークもひとっ走りは無理だと自覚していたのやら、それとも大好きな末宗さんや加藤さんの指示に従わねば、とガマンしていたのやら、大観衆の見守る中、大人しくそれでいて堂々と引き綱を引かれていました。

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メンコのままの本馬場、いつまでも取ってもらえない引き綱…不思議だったろうね、クリーク。

クリークが眺めてたコチラ側はこんな感じ。

Photo

アイドル馬じゃなかったクリークだけど、たくさんの地味色のファンに見送っていただきました。

…オバちゃんにとっては正に最後のレースを見せてもらった気分でした。

鞍上は武騎手。

伴走は大好きな末宗さんと加藤さん。

最後の一年がそうだったように、ライバルはいません。

闘うのはクリーク自身。

距離は「最後の直線を往復」

…クリークは不様な姿を見せることなく、最後まで颯爽と歩き切りました。

オバちゃんが撮った勝ち馬・クリークの写真はこれ。

Img020

ニンゲンたちのセレモニーの間、クリークは向こう正面をじっと見つめていました。

菊花賞や春の盾を競ったあの日を懐かしみ、別れを惜しむように…。

あと、中山ですね。

ゲンの悪い中山。

ホントなら東京が良かったけど、年明けは中山開催だしねshock

北上するクリークに最後に会えるチャンス、行くしかないよねweep

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中山はオバちゃんにとっても相性の悪いコースだったようで。

最前列を陣取ったら、こんなビミョーな位置に埒がっ…crying

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ここでもクリークはコースを眺めて佇んでたよね…。

そうやんね、あの有馬もあの有馬も悔しいことだらけやったけど、こうして無事に北海道へ帰れる姿を見送らせてくれて、ホントにありがと…。

2014年12月28日 (日)

誇りを持っていつまでもグチり続けます。

今年も大嫌いな有馬記念がやってきた。

有馬記念がドリームレース? けっ、秋のGI戦線に失敗した敗馬復活戦やんかいさーsign03

前評判をひっくり返し、あれま!な結果になることも結構多いからドリームなんかもな、ふんっ。

…でも、秋の競馬を走ってなお、有馬に出られる丈夫さはやっぱり、『無事是名馬』であることになるんか~とも思わんでもないな…。

オバちゃんが有馬記念が嫌いなのはもちろん、クリークが残念な結果ばっかりだったからで八つ当たり嫌いと言えば八つ当たりやけどな…。

…でもオバちゃん、この年の「年度代表馬」にクリークを選んでもらいたかったんだよ。

それにはGⅠをもうひとつ。それが有馬の優勝=年度代表馬にかかってた。

…でもクリークは有馬に出走することなく、引退を発表。

…オグリが ’89みたいに強かったらこんなふうに引き摺らなかったよ、きっと。

あんなんで勝っちゃったから、今に至るまで "出走さえできていればなぁ~"とグチりたくなるんだよねdespair

スーパークリーク オグリキャップ
出走レース 結果 賞金 出走レース 結果 賞金
90.04.01 産経大阪杯 GⅡ      1 5,500 90.05.13 安田記念 GⅠ 1 8,000
90.04.29 天皇賞・春 GⅠ      1 11,000 90.06.10 宝塚記念 GⅠ 2 4,400
90.10.07 京都大賞典 GⅡ      1 5,500 90.10.28 天皇賞 GⅠ 6  
          90.11.25 ジャパンC GⅠ 11  
          90.12.23 有馬記念 GⅠ 1 11,000
    90獲得賞金 22,000     90獲得賞金 23,400
    レース平均 7,333     レース平均 4,680

なんとか平等にしたかったから天皇賞6着とジャパンカップ11着の賞金調べたけど、どうしても判らんかった、すんません。 でも、ひとレース平均がこれだけ違うこと、どうですか?

’90年、オグリがGⅠ2勝と言っても、有馬は八大競走でも一番、歴史の浅いレースだし、安田記念に至っては八大競走に含まれないGⅠだし、宝塚記念の勝ち馬・オサイチジョージはクリークが、その前哨戦でねじ伏せている相手だし…。

でも、やっぱりなんやかんや言うても「出走させる」ことが評価されるんだろうな。

なんやかんや言うても競馬は馬券を扱うギャンブル。出走して馬券を売ってくれることが大事なのは当然のこと、やな…。

でも、オバちゃんはやっぱり、あの脚の具合の晴れ間を縫い、不様なレースでクリークの誇りを傷つけることなく、それらがスタッフやクリークの努力の賜物であるにも関わらず、「エリート」というあだ名さえ頂戴してみせたクリークのスタッフが好き、クリークが大好き、だ。

あの有馬に感動出来ていたら、どんなに「競馬」を楽しめたか、と思う。

でも、あの有馬に感動出来ないことはオバちゃんの誇りだ。

…この感じがかんぱちさんに似てるのよ。

結局、その時期にその位置にいたア○シがエライ、ということになるんやろうケド、オバちゃんに言わせれば、その頃のK-POPの台頭にビビった事務所と芸能マスコミに作られた人気者・ア○シと、アイドルには不利な「関西」を捨てず、叩き上げの努力でのしあがりながらも笑われて笑っているかんぱちさん。

そう思わん? クリークhappy01

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2014年9月30日 (火)

1990年10月7日

今や今年のダービー馬の名前さえわからんオバちゃんだけど、秋の始まりのこの時期に「トライアル」なんて言葉を耳にすると今でも何となく落ち着かない気分になる。

24年前の今頃はもう、それこそ毎日、通勤途中の駅でスポーツ新聞を買ってたな…。

今年ももう半月もすれば、結果的にクリークの最後のレースとなった京都大賞典。

クリークの京都大賞典は1990年10月7日。

ざわめきが起きたと思ったらクリークがパドックにやってきた。

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あの日は朝から雨で、パドックを周回しているときも結構、降ってたよね。

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雨の影響なんだか武騎手は朝から2度も落馬。
三度目のナントカでクリークの身に悪いことでも起きなければ良いが…なんて不安な
思いで迎えたパドックだったけど、この落ち着き払ったクリークを見て、そんな不安も
吹っ飛んだっけheart04

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傘・傘・傘の人混みに、ビビる素振りやイラつく様子も見せず、ただただクリークらしく、
どっしり、ゆったり、のんびり周回してたよね。 

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そんなクリークが一変したのは「止ま~れ~」の合図。

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そしてビックリしたのはパッドクでのメンコ外しsign03
こんなん今までありましたっけ?

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メンコを外したクリークはそれまでと違って明らかな気合い乗り

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遅れてやってきた武騎手が騎乗するとそれはますます明らかな闘志になって

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威風堂々、パドックを後にした…

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これがパドックで見る最後のクリークになるなんてこれっぽちも思わなかった…。

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手薄なメンバーと言うこともあって勝ち負けより

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ただ転ばないで回っておいで、っていう思いだけだった…

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でも、なんやかんや言うても、ゴール前はコーフンしてこんな写真coldsweats01

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これが現役馬としての最後のターフ…。

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過保護な今の競馬では考えられないくらいの、ウィナーズサークルの人・人・人。

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そしてこれが現役馬としての最後のクリーク…。

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この日、海の向こうでは、凱旋門賞。

一時期、クリークも出走を取り沙汰されたんだよね。
結局、これまでもクリークに決して無様なレースを強いることのなかった伊藤先生のご判断で、「あまりにも準備不足」と出走は断念されることになったんやけど。

レースがタイムなんかで評価されるものではないとは重々判っているけど、この年の凱旋門賞の勝ち馬のタイムが「2.29.8」、そしてこの日のクリークのタイムが「2.26.9」…。

お蔭でオバちゃん、今でもこのネタで一日中、夢を見られますheart04

ありがとう、今は亡き伊藤修司先生と厩舎スタッフだったみなさんhappy01

ありがと、クリークheart01

2014年8月29日 (金)

クリター歴、26年目。

happy01クリーク、元気にしてるheart04

…オバちゃんはちょっとボロボロかな。
ボロボロになってるワケはまたそのうちに、なcatface

つい先日、半世紀と4年を生きて初めて、とあるアイドルグループのライブに行ってきた。

そこではファンを「●●ター」と呼ぶらしい。

そんならオバちゃん、クリターやんねhappy02

クリークが天国へ行って早4回目の夏の終わりの季節が来ました。

もう何かに生まれ変わってどこかで暮らしているのやら

まだまだ天馬となって空を駆け回っているのやら

いずれにしろ、クリークにはしあわせでいてほしい。

今日、花屋さんへ行って、誕生日用のアレジメントをお願いしたら、「おいくつの方ですか?」って聞かれたよcoldsweats02

オバちゃん、反射的に「29歳です」って言うてしもたけど、クリークが天馬になった誕生祝なら「4歳」と言うべきやったかなcoldsweats01

写真も載せたかったケド、只今、デジカメのバッテリー充電器を捜索中…weep

花がきれいなうちに見つかったら、載せよっかなgawk

そうそうひ孫のリズヴェーリョが頑張ってるよhappy02
…オグリの笠松で、ちゅうのがちょっと気に入らんけどな。
それでなくてもだんだん頭打ちになっちゃてるので、オバちゃん、これ以上、この話題に触れるの、止めとくねcoldsweats01

じゃ、ね クリークheart01

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2014.8.30記

…結局、充電器が見つからず。

受験生なのに全く勉学に励まないりんご娘から取り上げ中のスマホでやってみた。

恐るべし、スマホのカメラ力。デジカメと変わらんなhappy01

2014年6月14日 (土)

つかれた寝

オバちゃんの三大趣味のひとつ、ちっちゃいもん集め。

昨秋、ご紹介した、この「もうしら寝」↓、覚えていらっしゃいますでしょうか。

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つい先日、その第二弾「つかれた寝」が出ているのを見つけましたhappy02

それがコレ。

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…可愛くないっsad

クオリティーが低すぎる…crying  

カタログの写真は可愛かったのに手にした実物は、カバの首はガバガバ、パグの顔ときたら、オバちゃんが絵付けしたほうがマシなくらい…。

ぷちサンプルもそうだけど、確実にだんだんお仕事が粗くなっている。

日本人が賃金をケチり過ぎてるのか、中国人の技術力が落ちたのか、オバちゃんごときにはわからん事情ではありますが、競馬をはじめ、世の中の「物事」がだんだん面白くなくなってきていると思うのはオバちゃんが歳を取ったせいでしょうか…gawk

またまた前置きが長くなりましたcoldsweats01

クリークの「つかれた寝」写真。

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クリークとデートした最後の夏、2010年8月。クリークが天馬になる約2週間前です。

馬房でちょこんとした感じで横になったクリークが仔馬のようで可愛かった…。

これまで放牧場で背中を掻くためにゴロンとなったクリークは何度か見たことはありましたが、馬房で、まさに寝るために横になったクリークは初めてでした。

この時はまさか、クリークがまもなく天に召されてしまうなどとはこれっぽちも思わず、ニンゲンもお馬さんも歳を取ると子どもに還るんだなぁ、なんてノンキな気分でいました。

クリークが亡くなった時、クリークがオグリに呼ばれたなんて言い方をそこここで言われました。あの時も書いたけど、クリークはオグリごときに呼ばれてノコノコ付いていくお馬さんやないでーsign03

…クリークはその一年くらい前から「老い」と闘ってた。
クリークの25歳の誕生日にいただいた場長の奥様からのハガキには、25歳の誕生日を迎えられて嬉しい限り、などと書かれていたくらい…。

あの夏もオバちゃんのクリーク仲間が春から夏にかけて3人、クリークに会いに行ってました。皆がクリークは思いのほか元気だったと喜んでいました。結果的にトリを務めることになってしまったオバちゃんですが、クリークが亡くなってから聞いたところによると、クリークはその頃から体調を崩しても、不思議とクリーク仲間の訪問を迎えるとまた元気になるという状態を繰り返していた様子…。

誰かが訪ねられない年は有っても、クリーク仲間がクリークを訪ねる順番は毎回、同じ。
いつも最後が盆休みを利用して訪ねるオバちゃんでした。オバちゃんには、クリークがそれを解って、オバちゃんたちクリーク仲間それぞれに、最後に踏ん張って「元気なクリーク」を目に焼き付かせてくれたように思えてなりません。いつも最後にやって来るオバちゃんも来たことやし、もうええかな?とクリークが天馬になってしまった気がして…。

その思いは今でも、もし、あの夏、オバちゃんがクリークを訪ねなかったら、”まだあのオバちゃんが来とらんな”と天に召されず、この世に留まってくれていたのかなぁ…となって繰り返しています。

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